モンゴルの干支

2006年1月12日0 コメント

モンゴルの伝統的な暦法では、五行思想に基づいた十干十二支が用いられる。五行には「木火土金水」と「青赤黄白黒」といった二通りの表し方がある。

【「木火土金水」による五行】
モド、ガル、ショロー、トゥムル、オスは、それぞれ木火土金水を意味するが、日本の「木の兄(甲)」「木の弟(乙)」「火の兄(丙)」「火の弟(丁)」などのように兄・弟の区別はなく、「モド(木)」「モド(木)」「ガル(火)」「ガル(火)」・・・のごとく2年ずつ同じ行が続き、10年で一回りする。

【「青赤黄白黒」による五行】
ホホ、ウラーン、シャル、ツァガーン、ハルは、それぞれ青赤黄白黒を意味する。これらにはすべて陰陽(男女)の区別があり、「ホホ(青陽)」「ホホクチン(青陰)」「ウラーン(赤陽)」「ウラークチン(赤陰)」・・・と続き、同様に10年で一回りする。

五行の10年周期と、おなじみの十二支を表す動物名12種類を組み合わせることによって、年の名前を表すことができる。暦は10と12の最小公倍数である60年で一回りする。

また、十干十二支が月日を表すために用いられることもある。月名は十二支によって、日付は十干十二支によって表される。1月の寅月から始まって、2月の兎月、3月の辰月・・・と続く。

【干支の起源】
モンゴル暦で使われている十干十二支は、一般には、もともと中国で考え出されたものがチベットに伝わって変容し、さらにモンゴルで改定されたものと考えられている。モンゴルに伝わったのはチベット仏教が社会に普及した明末の頃で、仏教僧により始められたとされる。なお、十二支の起源を北方遊牧民に求める説もある。1221年にモンゴルを訪れた中国人孟[王共]によると、当時すでにモンゴルでは12年を一つの周期とする計算法が存在したという。13世紀のモンゴルで十二支による暦が使われていたことについては、マルコポーロも言及している。ただし、歴史学者の中には、マルコポーロが実在の人物であったかを疑問視する立場の人もいるようなので、真偽のほどは定かではない。

【ラプチュン】
干支が一回りして還暦を迎えるまでを単位としたもの。チベット暦ではこの60年をひとつのラプチュンとして数え、西暦1027年の丁卯から始まる60年が第一ラプチュンとされる。モンゴル暦でも同様の数え方をするため、西暦1027年が暦元となる。

<参考文献>
金岡秀郎 『モンゴルを知るための60章』 2000年, 明石書店
D. マイダル著, 加藤九祚訳 『草原の国モンゴル』 1988, 新潮社
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