モンゴルの各種暦法

2006年1月12日0 コメント

【大明暦】 金朝によって1127年に作成されたもので、チンギス・ハーンの時代にはこの暦法が利用されていた。

【庚午元暦】 1235年、オゴデイの命により耶律楚材がそれまでの大明暦を改良して作成した。

【イル・ハン暦】 イル・ハン国で1259年に建設されたマラカ天文台での観測データを基に、ナラスディンが作成した天文表。後のモンゴル・トルコ暦。

【授時暦】 フビライの命を受けて郭守敬らによって数年間かけて作成され、1280年から使用が開始された。専門官14名を配し、大都や上都などの5箇所を拠点に元朝の領土内にも27箇所の観測所を設置し、大々的な天文観測データが集められた。観測には13種の天文観測機器を新たに発明または改造された。1280年には冬至の正確な時期が求められ、この時期を基準として一年を365.2425日とした。授時暦は当時世界で最も先進的な暦法であった。

なお、モンゴルの伝統文化には、仏教の伝来と共にチベットからもたらされたものが数多くあるが、暦法についても少なからずチベットの影響を受けている。17世紀にはチベット仏教とともに時輪暦がモンゴルに流入し、仏教寺院で使われていた。チベットには暦学のさまざまな流儀があったが、モンゴルに直接影響を与えたのは、青海出身のスンパ・ケンポという大学匠が1747年を基準年として計算した「ケデンの新算法」という流儀であった。

【時輪暦】 チベットで行なわれているインド系の太陰太陽暦の一種。1年は3月始まりで、西暦1027年丁卯を暦元とする。原則として一ヶ月を30日、1年は十二ヶ月、すなわち1年を360日として計算する。これを太陽暦と一致させるために3年ごとに閏月を加え、重日や欠日を定めるなどの調整を行う。こうして、翌年のカレンダーは毎年の年末までに用意される。

【時憲暦】 清朝の国家暦。17世紀にヨーロッパの宣教師が中国にもたらした西洋暦の高い精度を導入したものであり、日蝕、月蝕の推算に特に高精度を発揮していた。

1921年の人民革命前のモンゴルには、時輪暦と国家暦(時憲暦)という二つの旧暦があった。現在、モンゴルの仏教暦は、暦日の計算ではインド・チベット起源の時輪暦に基づきながらも、日月蝕の推算には西洋起源の中国暦を採用している。

【グレゴリウス暦】 モンゴル国では1925年以降、現行のグレゴリウス暦(いわゆる西暦)が用いられるようになった。他に、主として牧畜民用につくられた、12年周期に基づく伝統的な内陸アジア暦も発行されている。

【その他の暦】 1346年から始まる60年周期の暦も使用されていた。この暦には17世紀以降、清朝の影響が現れてくる。また、1911年にはチベット暦にもとづくモンゴル独自の暦が作られた。

<参考文献>
松川節 『モンゴル歴史紀行』 1998年, 河出書房新社
<参考サイト>
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/when/when2.html
http://www.tibethouse.jp/culture/horoscopes.html>
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