カルピスとモンゴル

2006年1月6日0 コメント

「初恋の味」でおなじみのカルピスだが、これがモンゴルの乳製品をヒントに生まれた飲み物だということは、意外と知られていない。

カルピス社の創業者・三島海雲は、1878年に大阪府豊能群のお寺に生まれた。仏教大学の学生だった海雲は、25歳のときに大学を中退し、青雲の志を抱いて中国へと渡った。当時は無限の夢と可能性を求めて中国へ渡る若者が多かったという。

三島海雲は、中国で雑貨貿易商「日華洋行」を設立し、日露戦争勃発後は日本軍から軍馬調達の指名を受け、内蒙古に入っていった。そして1908年7月、内蒙古のケシクテン(克什克騰)という地で酸乳に出会ったのである。

ケシクテンで海雲は、チンギス・ハーンの子孫であるという貴族の鮑さんの家に滞在していたが、そこでは毎日のように発酵したクリームや酸乳を勧められて食していた。すると長旅で弱っていた胃腸の調子が整い、持病の不眠症が治ってしまった。しかも北京に戻ってモンゴル酸乳をとらなくなると、また不調となったのだ。そこで1909年、今度は一人でケシクテンを訪れ、内蒙古の乳製品のすべての製法を教えてもらった。

帰国後はカルピス社の前進であるラクトー株式会社を創業し、モンゴルの酸乳にヒントを得たカルピス酸乳を試行錯誤の末に発明して、1919年7月7日、これをベースにした「カルピス」の販売を開始した。

カルピス社では創業80周年を記念して、1996年と1997年に、内蒙古で数回に渡る視察と現地調査を行っている。この調査には民族学(文化人類学)の専門家と乳加工技術の専門家が同行した。調査地域は内蒙古ケシクテン旗周辺、シリンゴル盟のシリンホト市近郊、東ウジュムチン旗、西ウジュムチン旗周辺で、民家を訪れて調査を行い、各種乳加工の実態を明らかにした。主な受け入れ先は内蒙古人民政府、内蒙古自治区軽工乳品科学研究所などである。

調査の結果から、カルピス酸乳のルーツというべき酸乳には出会えなかったが、チゲーと呼ばれる馬乳酒から、一部カルピス酸乳の製造に使われているものと同じ種類の乳酸菌が検出されたという。

<参考文献>
石毛直道 『モンゴルの白いご馳走』 1997年, チクマ秀版社
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